Life for happy! TORIOTTO blog

大人男子TORIOTTO(とりおっと)のポジティブな暮らしへの思考・思想を綴ったブログです。キーワードはLife for happy!

【大人男子の思考・思想】友達は悪なのか?!【必要?!不要?!】

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【友達がいない方が良い】と言う風潮があります。

ありますよね?

ぼっちで飯を食べるドラマや漫画があふれ、お一人様はとっくに市民権を得ていると思われます。

さらに昨今は友達は良くないと言う人も増えて来ました。

 

例えばこちらの動画

https://youtu.be/ke-MrK96tbg

マコなり社長さんの動画です。

ちなみに私は好評価をしました。とても論理的でTORIOTTOの鳥頭にも解りやすかったからです。

 

確かにこれを観れば成功するには友達は必要では無いと言う気持ちになります。

 

他にも、海外や山奥など、人と離れて生きる事を選ぶのが良い事だと語られる方も増えたと思います。

 

確かに昔は皆仲良く、より多くの友達を持つ事がよい事だと思われ過ぎだったでしょう。

その反発かも知れません。

 

いつの時代も、前時代の考えを否定して新しい常識は作られていきます。

 

ですが、何故その価値観が必要だったのか?

そこを考え無いとただの逆張りになってしまいます。

 

選択肢が増える事で、自分で正しいと思う方を考え、選べる事が多様性です。

 

否定し合うシーソーゲームだと結局成長はありません。

 

必要なのは否定ではなく理解した上での選択でしょう。

 

そもそもの、友達って何?

って言う事の理解がされていないのではないでしょうか。

 

私にとってもそれは難しい質問です。

 

友達百人でおにぎりを食べた時に101人目の自分を失くしてしまっている事に気づいた人が増えたのでしょうか?

 

しかし、そもそもそれ友達か?と。

 

さて、まず言葉の意味。【友達】で調べてみると。

 

勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。

 

とあります。

少なくとも居酒屋で愚痴大会をして足を引っ張り合う存在では無いようです。

 

一年生になって一緒におにぎりを食べる百人は上記の定義だと友達になるのかもしれません。

 

しかしそれでは、その先の人生の岐路で別れてしまうと友達では無くなってしまいます。

 

そんなのは友達じゃない。と思う人がほとんどでしょう。

 

そう。今の、少なくとも日本の社会において、友達とはどちらかと言えばプライベートな、時を超えてオフに会う仲の良い人を指す様になっているのです。

 

ですが、過去の時間や記憶を共有し合う相手は遠く離れてもお互いの事を思い出す友達だとも言えるはずです。

 

古くから歌や詩等に友を想うものは数多く残されています。

 

彼らは同胞であったり、同僚であったり。

下手したら敵同士だったかもしれません。

 

先述のマコなり社長の動画で大切な事を言っています。

 

必要なのは目的を同じくする一緒に頑張れる仲間だ。と。

それは、私に言わせれば、友柄であり、朋友であり、友達です。

 

今友達と言う言葉は否定的に使われています。

友達感覚じゃあ駄目だ!とかです。

 

言葉の本当の意味はとても大切です。

昔から人々は言葉を正確に伝える、残す事にとても気を使ってきました。

 

真言しかり、コーランしかり…

いつであっても、何処であっても、変わらない、変えてはいけないものに価値を見出していたのです。

 

今のネット社会で、言葉を操り影響力を行使する方々が、片折れの言葉を悪戯に残す事は、結局は多くの人に負の連鎖をもたらすでしょう。

 

じゃあ俺友達いなくて良いんだなと。孤独な者は成功出来るんだなと…。

 

余談ですがTORIOTTOは友達がほとんど居ません。

今はHAMさんが唯一の友柄だと言えるでしょう。

夫婦は友情も必要なのです。

 

ですが昔、学生時代から社会人になりたてくらいまで、ずっと一緒に笑い合ってた友人がいました。

 

ただある日彼はもう私に会う事が出来ないと言いました。

 

彼の家の宗教はそのコミュニティの中以外の者との交流は禁じられているからだそうです。

 

彼はそれでも私との友情を大切にし、それまで一緒にいてくれたのですが、長男であり、家族と、やはり彼にとっても大切な価値観だったので別離を選ぶと言ったのです。

 

とても勇気がいったと思います。

 

私は即座にそうか。元気でな。と応えました。

 

寂しさはありますが恨みはありません。

今も彼の事を思い出しては彼の幸せを願います。

 

はたしてこれは友達と言えるのでしょうか?

それともそんなの友達じゃないと言われるのでしょうか?

 

TORIOTTOは彼が必要無かったとはとても思えません。

 

何処にいようが、下手したら彼岸を超えていようが、それは変わらないのです。

 

 

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