世界中で多くの人が亡くなっています。
TORIOTTOにとって、人はいつ、どこで死んでもおかしくないと思わされるのは、阪神淡路大震災以来でしょうか。
桜はそれでも毎年と変わらず、美しく咲いています。
せめてそれを慰みに、亡くなった方々の御冥福をお祈りします。
TORIOTTOオススメの漫画の一つ【陰陽師】
鬼才夢枕獏先生が書かれた、小説
が原作で、映画化もされてましたね。
この作品の中で【雷公】こと菅原道真が生前、文章博士(大学寮の教官・当時の学問のトップ)だった時に、試験問題として
「魂魄をあらわせ。」
と問うた。というエピソードがあります。
作中では、ざっくりと言って【魂】はたましいで、【魄】は肉体だと説明されていました。
TORIOTTOの私見ですがこれは、
【魂】=ソフトウェアやデータ
【魄】=ハードウェア
なんじゃないかなと、
情報としての個人と、物理的な個人なんじゃないかなと思います。
例えば、今の時代SNSやこう言ったブログ等様々な場所に情報としての個人は残ります。
人の記憶に残る場合も同じでしょう。
これらはその個人がどんな状態であっても、変わらずに残り続けます。
それに触れる人は、例えばその個人を知っているかどうかで、その受け取り方が変わってしまいます。
例えば、あるブロガーの信者とアンチが、お互いにブロガー名を出さずに、
「読んでるブログでこんなのがあってさー。」
みたいな感じで話し会ったら、片や褒め称え、片や扱き下ろし、そこには良いブロガーと悪いブロガーの2人がいる様な状態になってしまいます。
人を呪わば穴二つって、そう言う意味もあるのかも知れませんね。
生きている人間でもそうなら、死者だとなおさらです。
「俺、そんな事言ってないよ。」
と、自分で修正が出来ませんから。
TORIOTTOはF1が好きです。
去年はHONDAも中々良い感じで、何度か優勝もしました。
しかし、参戦した頃は競争力が無く、散々な成績でした。
この頃、ネットの掲示板等で度々見られたのが、
【本田宗一郎なら撤退しろと言うはずだ!】
と言う輩です。
いや、生前F1に携わっていた時も勝つまで諦めない人で有名だったろ。と、思いました。
その後HONDAば諦めずに去年、遂に優勝したのです。
この言わば【呪詛】にも負けずに優勝したHONDAは天晴れだったと思います。
結局、自分の意見を権威付けしたいが為に、故人の口で騙っていただけなんでしょうね。
昔から、仏教では何度も法事をし、何年もかけて故人は成仏したんだと縁者に納得させ続けます。
神道でも、死者に執着する事は穢れとされています。
最近の世界規模の感染症の騒ぎで、著名な方も亡くなっています。
その時、故人をしのぶだけでは無く、例えば特番を組んだり、SNSでトレンド入りしたり、酷いのになると「〜さんもそう思っているはず。」とか言い出したりする輩も出るかも知れません。
それを続けると、故人はこの騒ぎと結びついて記憶され、この騒ぎのアイコン…寓意となってしまいます。
これは中世に陰陽師が鬼を造ったやり方と同じです。
全ての穢れを鬼に被せ、祓い、神に祀り上げて、最後は自分達が鬼となり【土】に還っていったのです。
これは専門家だからそう出来た訳で、そうじゃ無ければ、鬼にしたまま放ったらかしにされて、穢れた情報の塊=【悪霊】となってしまうでしょう。
そうならない事を祈ると共に、
今は只々安らかに。御冥福をお祈り申し上げます。