【喜怒哀楽の感情】なんて言われたりします。
嬉しい、ムカつく、悲しい、楽しい…これらは間違い無く人間の本能から湧き出るものです。
生きていく上で必要な、積極的に向かうべき事にはポジティブな感情を、
生きていく上で不必要な、避けるべき事には…ネガティブな感情を持つ事によって、生物としての【生きる動力】を得ているのです。
脳内物質の分泌による化学反応とも言えるでしょう。
生きていく上で必要な生体反応です。
もちろん人間以外にもあるものです。
じゃあ【好き】や【嫌い】は?
【悔しい】や【羨ましい】はどうでしょう?
【面白い】や【つまらない】は?
これらも感情と言われますよね?
でも本能的か?と言われますと、少し違う様に思います。
TORIOTTOはこれらの【気持ち】は後天的に育まれるものだと思います。
(…コメント欄で教えていただきました。
ありがとうございます。)
人は生まれながらに善性を持っている。だからどんな人間も徳を得る事が出来る(善行をする可能性がある)。
人は生まれもった悪性でもって悪い行いをしてしまう。だから意識して善い行いをしなければいけない。偽善をもって世は治まる。
どちらも【善悪は後天的なもの】と説いていますね。
孟子もだから放っておけとは言っていませんし、荀子もだから見捨てろとは言っていません。
後の教養、情報のインプットが大切なのです。
【観測者】と【人】の立ち位置やベクトルが違うだけで同じ事を言っていると、私は解釈します。
後天的な【気持ち】と言うものも、立ち位置とベクトルが違うだけで、結局は同じものなんじゃないでしょうか?
あなたが居る位置と気持ちの方向、対象が居る位置と気持ちの方向、これらの違いによって後天的な気持ちは左右されるのでは?と思います。(位置はもちろん物理的な距離ではありません。)
ベクトルが同じ方向を向いていれば【好き】となり、その強弱や距離によって気持ちの大きさは変化します。
【A】➡︎ 【B】→
これが寄り添う時に、人は一緒にいる事が出来るのです。
【A】➡︎【B】→
ベクトルが逆方向を向いていれば【嫌い】となり、その強弱や距離によって気持ちの大きさは変化します。
←【A】 【B】➡︎
2次元だけではなく、別の時間、交わらない世界やその間の移動など複雑に絡み合って、5〜6次元まで気持ちは変化可能です。(人と出会う可能性は無限です。)
【A】➡︎
↙︎【B】
【C】↗︎
他人の好意や自分の気持ちの、【好き】と言う感情が信じられない人もいると思います。
【自分】→ 【A】➡︎【B】→【C】↘︎
自分が好意を持ったとしても距離が離れていく。違う方向にいってしまう。
他の誰かに先に寄り添われてしまう。
これは不安になりますね。
これよりも、
←【自分】 【その他】➡︎
にした方が、自分の気持ちを信じられるかもしれません。
いっそ大多数を【嫌い】になった方が自分の気持ちを守れる気がするのです。
(ベクトルゼロで停止して観察できる人は【解脱】した人か死者くらいでしょう。人は生きている限り何らかの気持ちの動きが生まれます。)
しかし、賛同者が欲しくなるのもまた人の性であり、あちこちで自分と同じベクトルを持った人を探します。
私の様にブログであったり、人との会話であったり、掲示板やSNSであったり、アピールしていく事で、同じ様な気持ちを持った人を見つけていきます。
そうして、そこでもまた違いが生まれ、同じ事を繰り返すのです。
多角的にあれこれ否定する事を繰り返して、自分の気持ちが行動に伴っているならまだ幸せですが、自分をどんどん嫌いになるサイクルに嵌ると、抜け出す事は難しくなってしまいます。
余程の信念があれば別ですが、心はやはり摩耗していきます。
TORIOTTOが提案する事は一つです。
【同じ気持ちを持つ人に追いつく事】です。
【自分】→ 【A】➡︎【B】→【C】↘︎
となった時に、【自分】→を➡︎にする事、そしてずっと想い続ける事でいつかは追いつきます。
違う方向に行ってしまった人はしようがありませんが、また別の軸からやって来る人もいるかもしれません。
そうすれば何処かで誰かに同じ気持ちを向けられるかもしれません。
あなたが一緒にと想える人と出会えるかは、はっきり言って【運】です。
幸運な人だけがパートナーを見つける事ができるでしょう。
しかし、心のアクセルを踏む事は大切です。
自動車だって真っ直ぐスピードを上げていけば接触する可能性は上がるでしょう?
自動車の場合は不運ですが、
人の気持ちの場合は不運ではありません。
(合わない人を振り切る事も出来ますし)
もちろんその後の【歩幅を合わせる】という作業は必要ですが。
しかし、【自分】の気持ちのベクトルを強く、そして長く維持できなければ、そもそも運を掴むチャンスすら失ってしまいます。
人間ですから折れてしまう時も、逃げる事が正解な時もあります。
しかし、後天的な気持ちと言うものは、生きていく過程でのインプットでどうとでも変わります。
ものすごく嫌う事が出来る強いエンジンを持つ人は、ものすごく好きになる事も可能なのです。
世の中は厳しく残酷です。
何処かで踏ん張れた人だけが、接する勇気を持てる人だけが、【幸せな気持ちを共有できるパートナーを得る】という幸運を掴めるのだと私は思います。