今回はセンシティブな話題です。
TORIOTTOは、【宗教】は【信じる】ものじゃ無く【学ぶ】ものだと思っています。
この話題を出しただけで拒絶反応を示す人もいるでしょう。
チャレンジングな話題かも知れません。
TORIOTTOは、ある特定の【宗教】の信者ではありません。
そして【無宗教】の熱心な信者でもありません。
せいぜい、除夜の鐘を聴き、初詣に神社に行く位の、ライトな宗教との付き合い方です。
最初、このブログを始めるにあたって、書く題材はあったとしても、どの様な手法で書いたらいいものか?…と考えていました。
いろいろ調べて、参考にしようと、先輩ブロガーやYouTubeなんかを観て研究しました。
そこでは、【トップブロガーや人気YouTubeからパクれ】
と言っている人が多い事に気が付きました。
もちろん、ネタをまるパクリせずに、ノウハウを…と言う意味でしょう。
確かに、音楽でも【模倣】から新しいトレンドが生まれます。
TORIOTTOが良く観るMB氏の動画でも、
ファッショントレンドは過去の模倣から螺旋状にアップデートされていく。
と言われています。
トップブロガーか…マナブさんやイケハヤさんとか?
100万PV!凄いよな〜。
とか悶々と考えました。
TORIOTTOはそこでふと思い出しました。
ブッダやキリストがいるじゃん。…と。
こんな事言うと、敬虔な信者の方から怒られそうですが…。
仏教は信者の数が約5億人。
キリスト教はなんと約20億人だそうです。
フォロワー数、5億人や20億人で1000年以上、上位に居続けるコンテンツって何気に凄くね?
と思いました。
これは学ぶべきだろ?と。
そして、いろいろ調べている内に、
宗教と言うものは、人間の脳と言うコンピューターにインストールするOSの様なものなんだと思いました。
本能がBIOSだとしたら、宗教はOSなんだと思います。
そこに、倫理や哲学、社会常識なんかのソフトやアプリが付け加えられる訳です。
なんか、大昔から人間のやる事はたいして変わってないんだな〜。と面白くなりました。(笑)
そのOS上では、国や民族や言語を超えて共通のアプリケーションが使え、共通のソフトで、人と社会のオペレーションをし続けてきたんだなと感心しました。
それだけ長い間、広範囲に支持されてきたものなら、共通の感覚として、多くの人にすんなり受け入れられ易いのじゃないかと思いました。
例えば【大罪】なんかは、映画や漫画等いろいろなメディアに取り上げられてきました。
多くの人に共通する、本質的な部分なのでしょう。
キリストがパンを増やした。と言うエピソードも、実は皆、自分のパンを勿体ぶって隠し持っていたんじゃないかなと思います。
そしてキリストが一番最初に自分のパンを差し出したのを見て、皆もパンを差し出し始めたんじゃないかと。
ここから学べる事は、
【先行者はその後のフォロワーの行動も含めて称賛される。】
と言う事です。
他にも、多くのビジネス系や自己啓発系YouTuberなんかが言っている、
【常識を疑え】【今の自分(固定観念)を捨てろ】
なんかも、2000年以上前から仏教で言われ続けている事でもあります。
結局は、大昔からの人間の変わらない【問い】やテーマだったりするのでしょう。
TORIOTTOも【大罪】と言うテーマを導線として、何記事かブログを書きました。
これ、実際かなり書きやすかったです。
漠然とした考えがまとまり易いんでしょうね。
最初の頃はかなり助かりました。
HAMさんと旅行に行った時も、良く寺院や聖堂に行ったりします。
敬虔な信徒でも無い、思いっきりニワカなんですが、
それでも、ただ単純に【凄いな】と思いますし、人間にここまでのモノを作らせるエネルギーは本当に素晴らしいと思います。
伏見稲荷の鳥居を観ても、自然との、調和と異様の絶妙なバランスを感じます。
海外から来る人も、そこに感動するのでしょう。
価値観も文化も全く違う者であっても、私の様な無学な者であっても、そう思わされる感動は、人間の奥底の、本質的な部分からやってくるものなんでしょう。
結局は、いつの時代も、どこであっても、人はたいして変わらないんだな(かつ諸行無常)と思います。
【情報】の扱い方。【データ】の扱い方。
それらに触れる際の姿勢についても勉強になります。
世の中には狂信者と言う人達も居ます。
【宗教】でも【無宗教】でも、あまりにも盲目的な狂信者は、その人にとっても、周りにとっても、デメリットしか生み出しません。
それこそ、ここまでの人気コンテンツですから【信者】も【アンチ】もいて当然だと思います。
それでも、ふと立ち止まって、宗教や無宗教を盲目的に【信じる】だけじゃ無く、俯瞰して【学ぶ】事が出来れば、なかなかに人生面白くなるんじゃないかなと思います。
これは他の学問にも共通するかもしれませんね。
この、ニュートラルであれ。って言うのもまた、神道等の考えの中にもあったりします。
ある意味【宗教】を学ぶ事は究極の雑学だと思います。
ブログを書く時も、こんな便利なフォームがあるなら、それに乗っかる事を躊躇う理由は無いでしょう。
影響力やマーケティングの研究の助けになるかも知れません。
もちろん、宗教の本筋である、自己のアップデートであったり、悩みの解消のヒントになるかも知れません。
今の世の中だからこそ、空き時間にライトな学問として宗教を学んでみるのも、悪くないんじゃないかと思います。