歴史上の好きな人物を挙げよ。
とTORIOTTOが言われた場合、好きな人が多過ぎて忘れてしまうくらいなので、難しいと思います。
少し絞って世界史なら?
と言われてもまだまだ多い。
ヨーロッパ史なら?
うーん…やはり一人に絞るのは難しいですね。
ローマ史に絞って、
好きと言うより、興味をそそられる人物と言えば?…ローマ帝国第4代皇帝【クラウディウス帝】が一番に思い浮かびます。
(正確にはこの頃はまだ共和制だったそうです。)
誰?と思われる方もいると思います。
彼はユリウス家の一門ではありますが、ユリウス・カエサルの様な英雄にはなれませんでした。
後々の評価も低いです。
英雄譚の様な書物も残っていません。
ただ行った事の記録のみ残っているようです。
スキピオ・アフリカヌスやコンスタンティヌス大帝の様に、華やかなスターが目白押しのローマ帝国の中で、なぜ彼がいいのか?と言いますと、
彼のその人生にあります。
彼は超名門出です。
父方、母方両方共に皇帝を輩出した名家です。
兄は美形で戦も強く、ゲルマン人の進行を防いだ功績に与えられる、【ゲルマニクス】の称号を得たローマの英雄です。
ユリウス家とクラウディウス家の両家の血をひくクラウディウス帝は、成人した後ユリウス家の当主になります。
ですが、彼は長い間政治に関わる事はありませんでした。
理由を幾つか挙げますと、
【イケメンでは無い】
美形好きで、英雄が好きなローマ人にとってかなり致命的です。
逆にイケメンだったら後の世の評価はずいぶんと変わっていたことでしょう。
【吃音持ちで興奮すると口角に泡をふいてしまう】
名家の子でありながら、幼い頃より虐められていたそうです。
それを兄ゲルマニクスがいつも庇っていたそうです。
その上、足に障害があったので、歩くのにも不自由していたそうです。
健康な美丈夫を是とするローマにおいて、彼は冷笑される存在だったのでしょう。
彼は自身に比べて強く華やかな身内に対して、どんな気持ちで過ごしていたのでしょう。
彼が元首になる前に、ずっとやっていた事は歴史の編纂でした。
しかし、勝者であるローマの歴史ではなく、ローマに負けた国々の歴史を調べて書き記す事をしていたそうです。
彼は勝者よりも敗者に興味を持っていたのでしょうか?
しかし、そう言うネタはローマ市民にはあまりウケなかったのか、それとも元々面白く無かったのか、今では彼の著書は残っていません。
ただ真面目で面白みの無い男だったそうです。
この性格が表舞台に上がらなかった一番の理由ではないかと思います。
彼は自らの意思で君主になったのではありません。
彼の前の代の皇帝は、暴君で有名な【カリギュラ】でした。
カリギュラは元老院や多くの有力者を粛清し、圧政によってローマの秩序を破壊し、経済的にも破綻寸前にし、内外共に崩壊寸前まで貶めました。
カリギュラは暗殺されました。
犯人は近衛兵団の隊長でした。
その隊長は、口から泡を吹きながら隠れていたクラウディウスに対し、跪き忠誠を誓ったそうです。
クラウディウスは神輿として担ぐには丁度いいと思ったのでしょうか?
否、隊長のその後の行動で判ります。
近衛兵団の支持を得て、元老院も承認し、クラウディウスは元首たるプリンケプスになります。
(この頃のローマ皇帝はまだ共和制なのでインペラトールでは無くプリンケプスの称号で呼ばれます。)
そして、隊長の願い通り、カリギュラを殺害した罪で隊長を処刑します。
近衛兵団にはもう一人隊長がいたそうですが、彼も自害します。
おそらく、クラウディウスを正当に評価出来ていたのは、歴代皇帝を間近で見続けていた近衛兵団だけだったのでしょう。
クラウディウスの正統性の担保の為に自ら死を選んだのです。
カリギュラ亡き後、彼の様な君主が必要だと思ったのかもしれません。
クラウディウスは君主としてとても優秀でした。
しかし、決してローマから領土拡大をする事はしませんでした。
攻め易い土地は守り難い事を知っていたのかもしれません。
追放されていた元老院の議員を呼び戻し、ローマを元の姿に戻すと宣言しました。
しかし、彼の容姿や挙動から、元老院やローマ市民にはあまり期待されていない事を知っていたクラウディウス帝は、ギリシア人奴隷を解放し、優秀な人物をピックアップして…
おそらく世界で始めての内閣を組閣しました。
元老院と皇帝の争いが絶えなかったローマでしたが、この緩衝材が効いたのか、クラウディウス帝の治世は非常に安定したものになりました。
北アフリカの敵対国を制し、ローマの郊外に港を設けて、麦の供給を安定させました。
当時のローマ帝国全体の小麦の約3分の1を北アフリカ産の小麦で賄えたそうです。
他にも食料、物資等北アフリカから直送する事が出来る様になりました。
道路も整備し、それまで公用のみだった郵便を市民にも解放しました。
彼は重税を科す事無く、ローマの財政を見事に再建したのです。
そして、クラウディウス帝の最大の功績はエルサレムをローマの直轄地に変えた事です。
当時から争いばかりの土地だったそうですが、この後20年間ユダヤ人の土地で争いは起きなかったそうです。
この事が、後の世の、特に東ローマが1000年間国を保てた事の遠因になったとTORIOTTOは思います。
そして東ローマが無ければ、ヨーロッパは7世紀にイスラムに占領されて、今ごろはムスリム国家になっていたでしょう。
ヨーロッパ人は何故彼にもっと感謝し、評価しなかったのか不思議でなりません。
辺境の守りを固め、要所を保持し、内政と財政を立て直し、プリンケプスとしては申し分の無い働きをしました。
君主としてのクラウディウス帝は間違いなく名君です。
五賢帝の最初の二人よりもよっぽど優秀です。
しかし、彼は人気がありませんでした。
古代中国なら、謙虚で実直な徳の高い名君として評価されたかもしれません。
ローマ人にとっては、彼は仕事だけ出来るつまらない男だったのです。
君主としては優秀でも家庭人としては恵まれていなかったそうです。
彼にはメッサリナと言う奥さんがいましたが、彼女は絵に書いた様な悪女でした。
美しく無いクラウディウスと結婚してしまった腹いせからか、贅沢と男遊びの限りを尽くしました。
国家反逆罪を適用し、金持ち達を投獄し、財産を没収しました。
自分の地位を危うくする貴族や高貴な女性を次々追放し、粛清していきました。
クラウディウス帝はと言うと、彼女を罰しませんでした。
それどころか、凱旋式に彼女を出席させてローマ市民の顰蹙をかいます。
彼は美と健全さが正義とされるローマにおいて、自分が女性に愛されない男だと言う事を誰よりも分かっていたのかもしれません。
メッサリナはその後、別の男性との結婚式を挙げたという二重婚の罪で処刑されてしまいます。
その罪の真偽は確かではありませんが、裏で糸を引いていたのはメッサリナに追放された女性の一人、ユリア・アグリッピナです。
その知らせを聞いたクラウディウス帝は食事中だったそうですが、そのまま何も言わずに食事を続けたそうです。
メッサリナの死後、後添えを誰にするか話し合われましたが、結局ユリア・アグリッピナと結婚しました。
クラウディウス帝は息子がいました。当然後継者にしようと思っていましたが、息子が成人する前にクラウディウス帝は亡くなってしまいます。
ユリア・アグリッピナが食事に毒キノコを混ぜたと言う説もあります。
アグリッピナは自分の血が唯一繋がった息子、ネロを皇帝にします。
ローマ史上最狂の暴君【ネロ帝】の誕生です。
2人の暴君に挟まれた、クラウディウス帝の治世は評価されるべきだと思います。
しかし、後の世の評価は【悪女に振り回された情けない男】です。
2人の悪女に挟まれ、幸せな家庭を築け無かったクラウディウスは、仕事は出来るけど、幸せな家庭が持てない男の典型的な例だと思います。
HAMさんと一緒に幸せに暮らしているTORIOTTOとは正反対の人生だと思います。
だから興味を持ったのかもしれません。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言う諺があります。
成功者が書いた、リアルタイムの自己啓発本なんかも良いですが、こう言う歴史上の人物から学べる事も、案外多いのかもしれません。
あ、そうそう、クラウディウス帝のエピソードでこんな事もありました。
彼の在位中に、ガリア属州の出身者から、元老院の議席が欲しいと嘆願書が届いたそうです。
元老院はローマ以外の人間が入る事を拒否しましたが、クラウディウス帝はゆっくりと歩いて壇上に立ち、ゆっくりと演説を始めました。
【今話し合っている新しい事がこの先の常識になる。新しく決めた事が前例になる。スパルタやギリシャの国々が滅んだのは寛容さがなかったからだ。ローマの発展は寛容にある。】
ざっくりと纏めるとこんな事を言ったそうです。
この時誰も冷笑を浮かべなかったそうです。
彼は愛を諦めた男だったのでしょうか?
それとも器の大き過ぎる男だったのでしょうか?
本当にいろいろと勉強になります。