以前のブログでも少しだけ触れました、【ハンコ】について深掘りしてみようと思います。
結論から言いますと、私は【ハンコ不要論】は半分正解で、半分間違いだと思います。
なんのこっちゃ?と思われるかもしれませんが、TORIOTTOはこう考えます。
【他者が認める行為に関しては不要。】
【自己が認める行為に関してはあったほうが良い。】
まず、前提として、ハンコは印を押す道具であって、意味があるのは押された【印】です。
印鑑登録の制度があるせいで、ここが誤解されがちです。
時を超えて引き継ぐと言う文化的な意味では、道具にも意味はありますが。
古代の金印にしても、織田信長の天下布武にしても、印の本来の意味は、押す事で認めたと言う証になる事です。
現代で言うブランドのアイコンやバンドのロゴだってそうです。
ブランドのロゴやアイコンは、そのブランドが品質を保証すると言う印なのです。
しかし、いつの間にか自分のハンコを他者に認めてもらう事、役所で保証して貰う事が当たり前になってしまいました。
この事は、印の本質と離れてしまっていると思います。
まあ、悪さする輩が居るから…なのですが。
でも、それは登録したところで同じ事です。
むしろ役所に保証される事で増えるリスクもあるでしょう。
印を保証するのは、あくまで使い手本人なのです。
漢字は元々象形文字ですので、東洋では文字を判子にしやすかったのでしょう。
西洋でも、封蝋にスタンプを押したり、紋章を掲げる文化があります。
日本にも漢字の印以外に家紋なんかもありますね。
ルイヴィトンのモノグラムには、パリ万博で観られた、薩摩十字にインスパイアされたデザインが入っている話は有名です。
どの時代、どの場所でも、【印】は大切にされてきました。
【印】にはいろいろなものが込められているのです。
【印】という物は何も古臭い悪習ではありせません。
SNSやブログのアイコンなんかもある種の【印】です。
副業をしている人、個人で何かをしている人はセルフブランディングのためにも、何らかのシンボルマーク、印を持つ事は有効だと思います。
役所の手続き〜社内の許可等については、ハンコは要らないと思います。
電子的な認証や、公的機関が保証するID等があれば、本人がハンコをついて保証する必要なんてありませんから。
仕事においては、必要なのは外向けの会社の印・シンボルくらいでしょうね。
履歴書は…微妙ですね。
そもそも履歴書いるか?って話にもなりますし…。
まだ入社もしてないのにマイナンバーを…と言うのも危ない気がしますしね。
履歴書を書く場合は、自分の経歴を本人が保証する目的なので、ハンコはアリだと思います。
TORIOTTOは、ハンコはあくまでスタンプするための道具と思っています。
必要・不要を論ずる対象ではありません。
キーボードがあるから、鉛筆は要らないとはならないですよね?
意味があるのはあくまで文章です。
印の場合は印章にこそ意味があるのです。
むしろ個人の可能性が広がった今だからこそ、ブランディングの為のアイコン・【印】は強い意味を持つと思います。
様々な意味、情報を印に込める事ができるからです。
PRADAと言うイタリアのブランドは有名ですよね?
かつては王族や貴族と言った特別な人に向けて特別な品物を提供していたメーカーでした。
第二次世界大戦後、イタリアは王政が廃止され、世界的にも民主主義が広まった事もあって、そういったビジネスモデルが行き詰まってしまいました。
創業者の孫の三代目ミウッチャ・プラダは大衆に向けての、頑張ってお金を出せば身分関係無くゲット出来る品物を作る方針に転換しました。
ナイロン等の新素材を積極的に取り入れ、高級な素材と遜色の無いレベルにデザインし、実用的にタフに、職人の技で作り上げた高品質なアイテムを提供しました。
そして何より特徴的なのはあの三角形のアイコンを作った事です。
この事で今まで特別な品物に触れて来なかった、新興のお金持ちの人達にも、PRADAが保証する印としてアピールできました。
特に雨でも使えると言う事で、モデルさんの間に広まったそうです。
そうして見事に経営を立て直しました。
確実に良い物を提供する事はもちろんですが、それを知らない、多くの人に広める為に【印】、シンボルと言うものはとても役に立ちます。
ブランド品って、マーク付けてるだけだろ?
とか言うお馬鹿さんもたまに居ますが、
高品質を保証する印を入れる行為は、全ての責任を取ると言う職人の誇りと、提供者の自信と覚悟の現れなのです。
私が保証します!と言う印を持つ事は、自身の活動に於いてもポジティブな覚悟と効果をもたらすと、私は思います。