同じものでも、子供の頃と大人になった今とでは、感想や印象が変わる事ってありますよね?
例えば子供の頃は昆虫大好きだったのに、今は触れないとか…。
TORIOTTOは子供の頃【少年ジャンプ】が大好きで、定番ですが【北斗の拳】にも夢中になっていました。
あたたたー!とか言って遊んでいる。ありがちな男の子でした。
その北斗の拳の序盤に、【種もみじいさん】が出て来る話があります。
主人公のケンシロウは、バットと言う少年と一緒に荒廃した世紀末世界を旅しています。
ある日、モヒカン頭の野党どもに襲われているじいさんを発見します。
野党どもはじいさんが持っている種もみを奪おうと襲いかかったのです!
じいさんは、それは村の希望なんだー!と抵抗します。が、やられてしまいます。
ケンシロウは激怒し、あたたたたー!!!と野党どもをやっつけますが、じいさんは力尽きてしまいます。
そして、ケンシロウは何をやったかというと、
そのじいさんを埋葬した所に、種もみを撒いたのです!
それを見たバット少年は、そんなとこに撒いても実らないぜ。と言います。
TORIOTTOもバット少年と同じ感想でした。
荒野に撒いても実らないだろう?と。
野党をぶっとばしたのはスカッとしたけど、なんかもやもやするなと。
ケンシロウは言いました。
実るさ。この下にあの老人が眠っている…。と。
どうせならじいさんの意思を尊重して、村に届けてやれば良かったのに…。
子供TORIOTTOはそう思いました。
大人になった今の感想は違います。
【村人酷えな。】と。
確かに野党どもは悪い奴らだけど、一番酷いのは村人だと思います。
こんな危険な時代にじいさん一人で荒野を歩かせるなんて…。
…間引きじゃないか?
貧しい時代だし、村人も仕方なくそうしたのかもしれません。
じいさんも解ってて受け入れたのかもしれません。
【悪い】とは言い切れませんが、【酷い】なと思います。
野党どもにしても、疑問が残ります。
何故、明らかに何も持っていないような老人を襲ったのか?
キャラバンとか襲った方が利益がありますよね?
何か報酬のアテがあったのか?
じいさんは徒歩で他に何も持っていませんでした。
遠目には種もみを持っているなんて分からないはずです。
なのに【何故種もみだけ持っている事を知っていたのか?】
…ここまで想像してみたら、ケンシロウの行動の理由が解った気がします。
他にもこんな事があります。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
およそ1000年前、日本の権力をその手中に収めて、御堂関白と呼ばれ栄華を極めた平安の貴人【藤原道長】の詠んだ和歌です。
学校で習った時は、なんて傲慢なんだろうと思いました。
まあ、何でも手に入る立場になったからこんな歌も詠めるんだろうなと。納得してました。
授業でもそんな感じの解釈だったと思います。
でも、大人になるにつれ知っていきます。
トップは孤独なんだと。
富も権力も手に入れても欲は無くならずに満たされないものなのだと。
ネットの世界でも居ますよね。
トップと呼ばれる人達が、
こんな奴は底辺だ。こんな会社は駄目だ。こんな日本は駄目だ。無能はこんな行動をする。駄目だ駄目だ…と発信しているのをよく見かけます。
少し卑怯な書き方になってしまいましたが…私はトップレベルの影響力を持った人なら、もっとポジティブなメッセージを発信したら良いのに、と思います。
もちろん戦略でやっているのでしょうし、そういうのがウケる事は解ります。
しかし、もうウケ狙いをする必要の無い、100万PVドン!と稼ぐレベルの人達がネガティブ発信をやり続けているのです。
キーワードは【嫌われる勇気】と【皆さんのお役に立つ】
実際その通りなんでしょう。
だから人気があるのでしょうし。
しかし、巨大な影響力のある言葉に呪われてしまった様に、ネガティブになってしまう人も沢山いると思います。
発信者自身も、そうなってしまっているのかもしれません。
私の様な駆け出しと違って、そんな事をする必要の無い彼らが何故365日毎日その様な発信を続けているのかと言うと、
彼らは全然満足していないんだろうな。と思います。
満たされていないから、やり続けるんだと。
先程の藤原道長の歌を思い出します。
この世こそが 我が世なのだと思うよ 満月の様に 欠けている事なんて無いと思えば…
美しい歌です。
傲慢どころか、謙虚ささえ感じます。
我ただ足るを知るを具現化した様な和歌です。
TORIOTTOは大人になって、この歌が大好きになりました。
いろいろな時に思い出します。
子供の頃、大人になると楽しい事はどんどん無くなっていくもんだと思っていました。
大人になってみると、全然違うと知りました。
新しい発見。知らない事だらけで、それを知る喜び。新しい視点での新しい世界。
なんて面白い世の中なんだと思います。
大人になればなるほど、時間が足りないくらいに面白い。
なんて幸せな事なんだろうと…。
昨日からTORIOTTOは出勤だったのですが、帰宅したらHAMさんが、またベランダでのディナーを用意してくれていました。
我ながら嬉しそうです。
ささやかながら、めっちゃ優雅な夜を過ごせました。
このエクアドルサラダもめっちゃ美味しかったです。
新しいメニューを知る事だけでも一生かかっても足りない楽しみですよね。
食事の後のお風呂上がりに、再びHAMさんとお酒片手にベランダで月を観ていました。
幸せな時間です。
【今夜は月が綺麗ですね。】は流石に照れ臭くて言えませんが(笑)
御堂関白の和歌なら、今度拝借してみても良いかもしれません。