昨日、TORIOTTOが今の職場で働く様になった頃から、お世話になっている得意先のお爺さん(70代)にこう言われました。
【どう?最近。ロックやってるか?!】
TORIOTTOが音楽活動をやっていた若い頃から知っている方です。
当時はロン毛だったり、髪を染めたりしていました。
【家でたまに弾いているくらいですよ。】
と答えました。
【アカンな〜。もっとバリバリやらんと。】
とお爺さん。
こんな感じの軽いやりとりでした。
TORIOTTOは思いました。
【ロック、やれているのだろうか?】
ロックとは、
誤解を恐れずに言うなら、
【如何に自分の我がまま、傲慢さを貫き通せるか。】
だと思います。
自由も突き詰めればそこになると思います。
100人が辞めろと言う事でも、自分が【そう!】と思った事を貫き通せるか?です。
これは見た目だけの問題ではありません。
反社会活動、反体制、ルールを破る事がロックだなんて薄っぺらいものでもありません。
例えば、三揃いのスーツをビシッと着た、ナイスシルバーな老ビジネスマンだったとしても、それが高い純度でその人を現しているなら、その辺でイキっている兄ちゃんよりもよっぽどロックな人だと思います。
最近のアメリカの暴動にしても、これが本当にやりたい事なのか?と疑問に思います。
顔を隠し、フードを被って略奪をする…。
こそこそと、後めたい生き方だと思います。
正義の名の下の、【逆差別】による暴力や略奪を無くす事はかなり難しいと思います。
ルイ・ヴィトンのデザイナーは、お店が襲われた事についてSNSで苦言した事を、人権派に批判されて、結局謝罪したそうです。
それが今の正義であり、常識なのでしょう。
アメリカでは60年代まで、黒人を差別する法律・州法が普通にありました。
マクドナルドだって、白人用の受け取り口と有色人種用の受け取り口を分けないといけない州がありました。
そんな中、ある一人の女性がバスに乗りました。
バスの運転手は白人の乗客が増えたので、有色人種の彼女に席を立つ様に言いました。
別にその運転手が差別主義者だと言うのではありません。当時はそれが当たり前で、法律に則った正しい事とされていたのです。
酷い話ですが、悪意すら無かったかもしれません。
今でも見かける、【善意による注意】だったのでしょう。
彼女は言いました。
【私は立つ必要があるとは思いません。】
バスの運転手は言います。
【警察を呼びますよ?】
彼女は言います。
【どうぞ、そうして下さい。】
その後彼女は呼ばれた警察に逮捕されてしまいます。
取り調べの席で彼女は言いました。
【私は立つのに疲れていたのではありません。屈する事に疲れていたのです。】
この話を聞いたキング牧師などが、公民権運動を広め、遂にはアメリカの法律、州の法律が変わったのです。
公共の施設、交通機関、レストラン、劇場、ミュージアム、遊園地などで、人種によって扱いを変える事は禁じられました。
たった一人の女性の勇気ある行動が世界を変えたのです。
この出来事を、
【ローザ・パークス事件】
と言います。
法律や常識よりも、自分が幸せになる為に絶対に曲げない。ロックだなと思います。
人種は関係ありません。
ロックは別に白人だけの物でもありません。
ラップだって黒人だけの物ではありません。
しかし、顔を隠して、捕まらない様に、物を盗む。
これが世界を変える行動なのでしょうか?
戦わなければ変わらない事もあるでしょう。
しかし、戦争とはバリバリの滅私奉公です。
自分を殺す戦いと、自分を貫く戦いは違います。
ローザ・パークスさんは、ただ当たり前に幸せに生きたかっただけなんじゃないでしょうか?
法が正しいと言うのなら、彼女は間違いなく悪だったのでしょう。
当時の価値観では、今で言う【車両を間違えて通報された人。】くらいに見えたかもしれません。
もしTORIOTTOが、平日の御堂筋線の4号車に乗ってしまったら、周りから物凄く忌避する目で見られる事でしょう。
そして通報されれば捕まってしまって、HAMさんを悲しませる事になってしまいます。
そう考えれば、彼女の勇気は凄い事だと思います。
TORIOTTOは、10年後に自分が後悔しない様な生き方が、ロックな生き方だと思います。
間違っても良いのです。
遠回りだったとしても、思った通りでは無かったとしても、今の自分を受け入れられる生き方が出来れば、人は幸せだと思います。
何一つミスなく、理想的な人生でも、満たされず、受け入れられない現実を抱えて生きて行くなんて辛いと思います。
日本で生きているTORIOTTOは、多少今月の出費が…とか思う時もありますが、食べるに困らず、大好きな人と堂々と幸せに暮らせている今はとても幸せな時だと思います。
これ以上の幸せは別に望まないくらいです。
仮にこれを崩す様な何かがあったなら、私は必ず抗うでしょう。
世の中には正義や法、思想やイデオロギー、常識等に則って誰かを攻撃したり、集団で抗議をしたり、叩いたり、それに便乗して荒稼ぎしようとしている人達もいます。
今そう言う事に巻き込まれない自分は、とても幸せだと思います。
しかし人によっては、幸せ幸せと薄っぺらい奴だ。と思われるかもしれません。
他人から観れば私は【バリバリやらなくなった人】なのかもしれません。
過去のTORIOTTOを知っている人には、残念に思われるかもしれません。
ある意味それは素敵な事だし、惜しまれる事はありがたいのかもしれませんが、
そんな思いを踏みにじってでも、今の幸せを掴むエゴ、我が儘を押し通す私は、【傲慢なロックンローラー】なおっさんなのだと思います。